「笑顔のビート」

然a.k.a.口太鼓坊主

僧侶/ヒューマンビートボクサー

「僧侶」と「ヒューマンビートボクサー」なかなか無い2足の草鞋を履く然さん。
僧侶として、パフォーマーとして。
彼が目指す先には「人」があった。

​おかしな縁で。

元々は母方の祖父が僧侶で、跡継ぎとして19歳で僧侶になることを決めた然さん。
彼がもう一つの草鞋。「ヒューマンビートボックス」を始めたのは18歳の頃、ある事がキッカケだった。

 

-ビートボックスを始めたキッカケはなんですか?

然a.k.a口太鼓坊主(以下 然):僕はもともと野球をやっていました。
でも重度の椎間板ヘルニアになってしまって。
野球はもちろん一切のスポーツが出来なくなってしまったんです。
  そんな時元々興味があった「ボイスパーカッション」をやってみようと思いました。

当時、テレビ番組の「ハモネプ」がはやっていて、興味を持ちました。

「ボイパ」をきっかけに「ビートボックス」というパフォーマンスを知り、そこからビートボックスを始めました。
そこから、おかしな縁なんですけど、僕が「ビートボックス」に興味があるって知った地元の友人がある団体を紹介してくれたんです。それがJoint A Moodという団体で、ストリートでビートボックスをバックにダンスやバトントワリングで踊っている団体でした。

生で見て、聴いたパフォーマンスに深く感銘を受けました。
それからちょくちょくと顔を出すようになって、主催者の人にビートボックスの基本的な部分を教わりました。
ちなみにその主催者の方がビートボックスの日本チャンピオンになった「TATSUYA」さんなんです。
   今でこそ「ビートボックス」をYouTubeやテレビ、SNSの影響で知っている人が増えたけれど、当時ビートボックスを知っている人は少なかった。

だからすぐ有名なビートボクサーと会えちゃうような環境でした。   

今はビートボックスは自分にとって切っても切れないものです。
これが無かったら自分の人生はどうなっていただろうなーと思います。
ビートボックスを始めてから繋がった人もたくさんいます。
紹介してくれた地元の友達も、ビートボックスを教えてくれたTATSUYAさんも。
色々な人との出会いが僕の人生を大きく変えました。

私の生き方

「HIPHOP」と「仏教」一見すると相見えない2つの生き方。
彼に自分の人生について聞いてみた。

然:僕は両方(HIPHOPと仏教)繋がっていると思います。

仏教って難しいイメージが凄く強いと思います。
でもお釈迦様が言っている事はごくごく日常的なこと。例えばお釈迦様の教えに「生老病死」という「四苦」という言葉があります。「人間は生まれてから絶対に老いるし、病気になるし、死ぬ。

これは自分の思い通りにならないこと」という教えです。なんでこんな当たり前な事を教えとして言うのか?
それは人は心のどこかで『自分は死なない』と思っているからだと思うんです。人は自分が生きている事をあたりまえ

に感じて生きている。

でもそれは実はあたりまえじゃない。

人は生かされているんです。

もしかしたら、明日大きな地震が起こって死んでしまうかもしれない。

今、隣にいる人が死んでしまうかもしれない。

実際に3.11の時だって「あたりまえ」の日常なはずが、急に地震が来て何人もの人がお亡くなりになりました。

そう考えると、「生」と「死」が隣り合わせで、あたりまえの事なんだけれども中々「死」を意識しない。改めて考えると「生きている」という事もありがたいんだなぁと感じるんです。そのありがたいなぁという暖かい心を持つことが仏教だと思います。

対してHIPHOPの中でも「ラップ」というのは近い存在だなって思います。

あとお経ってラップっぽくないですか?笑

お経ってものすごーく簡単に言うと「こういう風に考えて生きるといいぜ!」って事が書かれています。

ラップも同じだと思うんですよね、「俺はこう生きてきて、こんな事思ってるぜ!」「だから俺はこうした方がいいと思うんだよ!」「これが俺のナンバーワンだ!」って事だと思うんですよ。よく日本のラップを貶す意味で「日本のラップは親に感謝し過ぎ」とか言われてますけど、色々なラッパーが「親に感謝し、大切にすべき!」という一つの「教え」は色々な宗教が、親を大切に!って言ってる事と同じなんじゃないかなぁって思います笑

「ビートボックス」をやっていると、若い人と関わる機会が多いんです。

そして関わってみて解ってきたのが

実はみんな仏教に対して少し興味はあるということ。
「自分の国の宗教だけど、よくわかんない」
「誰に聞いていいかわからない」
そんな時ビートボクサーとして僕がいる。
そうすると「あいつに聞けばいいじゃん!」と仏教について聞いてきてくれる。
ビートボクサーとしてやっていても仏教を広めることにもなっているのかなって。
でも元々お坊さんってそういう近い存在だと思うんですよ。
日常生活の隣にいて何かあったら聞ける、話せるっていう。
それが昔のスタイルだったと思うんですよね。
今はそれが少なくなってきていると思います。
特に若い人に仏教を伝える機会は減っています。
ですから僕が伝えられることがあれば一仏教者として役に立てればなぁと思います。

「パフォーマー」と「笑顔の絶えないお坊さん」

-今後ビートボクサーとしての活動はどうして行きたいですか?
然:僕はビートボクサーとして「パフォーマー」になりたいです。
ビートボックスって今バトル界隈が盛り上がっていて、勝つことを目的としてやるプレイヤーが多いです。
でも私はあくまでも「ビートボックス」を使い「パフォーマー」として、人を楽しませたい。
ビートボックス自体元々パフォーマンスの一つだと思うので、これを使って色々やれることをやりたいと思っています。
例えばビートボックスだけじゃなくて、そこにダンスを取り入れたり。民族音楽とのコラボとか?
そうゆう人を楽しませるような、笑顔にさせる様なビートボクサー(パフォーマー)になりたいです。

-では、仏教者として目指すものはありますか?
ニコニコしているお坊さんになりたいです!
この仏教とビートボックスを通して笑顔を分け与えられるお坊さんになりたいなって思います。

 普段から人への感謝を忘れない然さん。

「感謝を忘れない」簡単に言うがなかなかできることでは無いと思う。

そんな彼に好きな言葉を聞いてみた。

「当たり前の反対は有難い」

    

然:あたりまえという言葉を多用しましたが。
例えば人は大切な人が隣にいることを当たり前と感じがちです。
でも、それって実は当たり前ではなくて。
そういう人と出会えた事すら奇跡なんです。
そんな事が、有ることが難しい。つまり「有難いもの」なんです。
そうやって日常の事を当たり前と感じず、「ありがとう」を感じれば人としてあったかくなれるかなって思います。


「和顔愛語」

然:私が心がけている言葉です。

和顔とは穏やかな顔、そして愛語とは優しい言葉という意味です。

この二つを心がけて人と接したいです。

 人を見つめる仏教徒として。はたまた人を楽しませる「パフォーマー」として。
彼が目指す先には常に「人」がいた。
彼は「自分の人生は仲間がいなきゃ成り立たない。愛すべき仲間達のおかげです」と語る。
「和顔愛語(わがんあいご)」を心がける彼には自然と人が集まり、彼を導いている。
「HIPHOPと仏教」二足の草鞋で歩む道の先にはこれからも人を自然と笑顔にする道が広がっている。

(2016.2.9 都内某所)

取材・ライター 鈴木 隆太

アーティスト

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